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2024.02.13
日本の刑法では、「国家転覆罪」という名称の罪は定義されていません。
ただし国家転覆に関わる罪として内乱罪、外患誘致罪、外患援助罪などが規定されています。
国や政府機関を破壊し国家の平穏を覆すこれらの罪には、非常に重い法定刑が規定されています。
最も重い外患誘致罪で有罪になると、特別な事情がない限り必ず死刑になります。
なお、さいわいにも日本では、現在まで国家転覆に関わるこれらの罪が適用された事例はありません。
ロシアのウクライナ侵攻など、国際情勢が緊張を増している現在、日本に対する国内外からの攻撃などを懸念する方もいるでしょう。
本記事では、国家転覆に関連するこれら罪の定義とその法定刑を解説します。
過去に適用を検討された事例についても紹介しますので、参考にしてください。
国家転覆罪とは、国の統治機関や基本秩序を崩壊させることを目的とする犯罪を指します。
ただし冒頭で述べたとおり、日本の刑法では国家転覆罪という名称の罪は定義されていません。
日本において、国家転覆に関わる罪として、具体的には以下が挙げられます。
内乱罪は国の統治機構(国会・内閣・裁判所)を破壊する目的で暴動を起こす罪で、刑法77条に規程されています。
簡単にいうと、内乱罪とは暴力による革命やクーデターをおこなおうとした場合の罪です。
首謀者には死刑が科される可能性があります。
また、内乱を助けたり、企てたりするだけでも罪に問われます。
外患誘致罪、外患援助罪はそれぞれ刑法81条、82条に規定されています。
外国の軍隊などに加担して国家や政府の転覆を計画した者に対し、適用されます。
なかでも外患誘致罪は、死刑のみを法定刑とする、最も重い犯罪です。
このように法定刑に裁量の余地を認めないものを「絶対的法定刑」といい、日本の犯罪で死刑が絶対的法定刑として適用されるのは外患誘致罪のみです。
国家転覆に関わる罪は、罪の性質から日本国民の生命と平和を脅かす行為であるため、殺人罪よりも重い法定刑が定められています。
内乱罪は、国家転覆に関わる罪のひとつです。
本項では内乱罪の定義や法定刑、関連する罪についてみていきましょう。
内乱罪とは、「国の統治機関を破壊し、統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動を起こすこと」です。
「統治機関」とは、日本国の国会や内閣または裁判所のことを指します。
刑法77条
国の統治機構を破壊し、又はその領土において国権を排除して権力を行使し、その他憲法の定める統治の基本秩序を壊乱することを目的として暴動をした者は、内乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
一 首謀者は、死刑又は無期禁錮に処する。
二 謀議に参与し、又は群衆を指揮した者は無期又は三年以上の禁錮に処し、その他諸般の職務に従事した者は一年以上十年以下の禁錮に処する。
三 付和随行し、その他単に暴動に参加した者は、三年以下の禁錮に処する。
法定刑は、内乱を起こした集団内の立場や役割によって、以下のように異なります。
- 首謀者:死刑または無期禁錮
- 謀議参与者・群衆指揮者:無期または3年以上の禁錮
- 職務従事者:1年以上10年以下の禁錮
- 付和随行者や単なる参加者:3年以下の禁錮
(刑法77条より抜粋)
首謀者とは、暴動を計画し主導者となった人物で、謀議参与者とはその計画会議に参加した者を指します。
職務従事者とは、首謀者と謀議参与者の立てた計画に従って暴動を起こした者、付和随行者とは、その暴動に参加した者を指し、いずれも「内乱罪」で処罰されます。
内乱罪には未遂罪も適用されます(刑法77条2項但書)。
未遂の場合は首謀者、参与者、従事者が処罰対象となります。
刑法77条
2 前項の罪の未遂は、罰する。ただし、同項第三号に規定する者については、この限りでない。
内乱罪に関連する罪として、以下が規定されています。
内乱予備罪とは、内乱を実行するための準備をした場合に、内乱陰謀罪とは2人以上で内乱を計画し合意を目指した場合にそれぞれ適用される罪です。
内乱が実際には起こらなかった場合でも、その実行のために準備したり2人以上で計画したりすることで、罪に問われる可能性があるわけです。
予定されている刑罰は両方とも1年以上10年以下の禁錮です。
内乱等幇助罪は、内乱のための資金や兵器などを提供するなどして、内乱を幇助した者に対して適用されます。法定刑は7年以下の禁錮です。
これらの罪に共通するのは、内乱が発覚する前に自首した場合に、刑が免除されるということです。
また、たとえ内乱が発覚したあとでも、自ら出頭すれば、裁判官の裁量によって刑を免除される可能性もあります。
外患誘致罪も国家転覆に関わる罪のひとつです。
本項では外患誘致罪の定義や法定刑、関連する罪についてみていきましょう。
外患誘致罪の「外患」とは、日本以外の国の政府や軍隊などを指し、海外を活動拠点とするテロ組織などは含まれません。
外国の軍隊や政府などと共謀して日本に武力行使するよう誘致した場合には、「外患誘致罪」が適用されます。
武力行使とは、ミサイルを撃ち込ませるなどの行為を指します。
海外の軍隊などを誘いこんで武力行使させ国家転覆をもくろむのは、国家対国家の戦争を誘発し、多くの国民の平和と命を奪う可能性がある行為です。
そのため、法定刑は非常に重く、死刑のみが規定されています。
外患誘致罪は、日本の刑法上最も重い量刑が法定刑として規定されています。
刑法第81条
外国と通謀して日本国に対し武力を行使させた者は、死刑に処する。
外患誘致罪は未遂に終わっても、1年以上10年以下の懲役の法定刑が予定されています。
外患援助罪も内乱罪のひとつです。
本項では外患援助罪の定義や法定刑、関連する罪についてみていきましょう。
外患援助罪は、刑法82条で以下のように規定されています。
第82条
日本国に対して外国から武力の行使があったときに、これに加担して、その軍務に服し、その他これに軍事上の利益を与えた者は、死刑又は無期若しくは2年以上の懲役に処する。
「これに加担し、軍務に服する」とは、武力行使を仕掛けた外国軍や組織に加わったり、それら組織の指示を受け日本国に不利となる行動をしたりすることを指します。
外国軍の味方につき、日本に不利となるよう機密情報を提供したり武器を提供したりした場合には、外患援助罪によって処罰されます。
法定刑は死刑または無期もしくは2年以上の懲役です。
外患援助罪にも、予備罪や未遂罪の規定が設けられており、適用された場合は1年以上10年以下の懲役刑が科されます。
国家転覆罪によく似た罪として、「騒乱罪」が挙げられます。
以下、騒乱罪の定義・法定刑・国家転覆罪との違い・実例についてみていきましょう。
騒乱罪とは、大勢で集まり暴行や破壊行動などをおこなうことに対する罪です。
騒乱罪の構成要件として以下が挙げられます。
騒乱罪はもともと、明治時代の自由民権運動やその後の社会活動を鎮圧するために制定された罪です。
旧刑法では兇徒聚衆罪(きょうとしゅうしゅうざい)という名称でしたが、平成7年の刑法改正によって「騒乱罪」に変更されました。
刑法106条
多衆で集合して暴行又は脅迫をした者は、騒乱の罪とし、次の区別に従って処断する。
1.首謀者は、1年以上10年以下の懲役又は禁錮に処する。
2.他人を指揮し、又は他人に率先して勢いを助けた者は、6月以上7年以下の懲役又は禁錮に処する。
3.付和随行した者は、10万円以下の罰金に処する。
なお、大勢で集まってデモ活動をするだけなら騒乱罪には問われません。
ただし、警察官が解散するよう指示したにも関わらず解散しなかった場合には、「多衆不解散罪」に問われる可能性があります。
内乱罪、外患誘致罪、外患援助罪などの国家転覆に関わる罪は、政府を破壊し、戦争を誘発して多くの国民の命を奪う可能性のある犯罪なので、死刑を含む非常に重い刑罰が予定されています。
一方で騒乱罪は、国家の転覆を目的とするものではなく、大勢が特定の目的のために集合し、暴徒化してしまった場合などに適用されます。
そのため国家転覆罪ほど重い法定刑は規定されていません。
過去に騒乱罪が適用された事件として、以下のような事例があります。
【新宿騒乱】
1968年、国際反戦デイに当たる10月21日に、新宿駅などで起こったベトナム戦争に対する反対デモです。
新左翼と呼ばれる反日共系全学連の学生ら6,000人が、新宿駅や防衛庁、国会などに突入しようとして警察や機動隊と衝突しました。
なかでも新宿駅では約2,000名が東口広場に集結しました。
この暴動では16年ぶりに騒乱罪が適用され、743人が逮捕されています。
【阪神教育事件】
1948年に戦後のGHQ連合国軍総司令部の指令のもと、文部省が発令した朝鮮人学校閉鎖令に対し、大阪府と兵庫県で在日韓国人、朝鮮人および日本共産党員が引き起こした暴動事件です。
この事件では、GHQの指令により非常事態宣言が布告され、1,700人あまりが騒乱罪により逮捕されました。
【大須事件】
1952年に、当時国交がなかった中国・ソビエトの視察を終え帰国した代議士を歓迎するデモがきっかけとなり起きた事件です。
集結したデモ隊が暴徒化し、火炎瓶や投石で警察署を攻撃するなどして約150人が起訴され、99人に騒乱罪が適用されました。
この事件では、137人が検挙され、うち99人に対して戦後で初めての騒乱罪が適用されました。
以上のように、騒乱罪が適用された事件は、数件あります。
しかし、国家転覆罪に該当する内乱罪、外患誘致罪、外患援助罪で有罪が確定した裁判例は過去に1件もありません。
ただし、適用が検討された事例はあります。
【過去に内乱罪の適用が検討された事例】
五・一五事件とは、戦前の1932年に海軍将校たちが当時の内閣総理大臣だった犬養毅を殺害した反乱事件です。
内乱に参加した者のうち、軍人には軍法会議によって陸軍刑法での反乱罪が適用され、民間人には殺人罪が適用されました。
二・二六事件もまた、戦前に起こった陸軍将校らのクーデター未遂事件です。
当時の陸軍刑法の反乱罪が適用されました。
神兵隊事件は、1933年に右翼の愛国勤労党らが計画した国家改造事件で、日本で初めて内乱罪・内乱予備罪等による刑事裁判がおこなわれました。
ただし、判決では内乱罪は否定されています。
唯一戦後に内乱罪の適用が検討されたのは、オウム真理教事件です。
これは、宗教団体オウム真理教の幹部らが1980年後半から1990年代にかけて起こした一連の事件を指します。
坂本弁護士一家殺害事件、松本サリン事件、地下鉄サリン事件などが代表的です。
一連の事件で教団幹部の弁護人が内乱罪を主張し、首謀者以外には死刑が適用されないことを主張しました。
しかし、裁判所の判決によって内乱罪の適用が否定され、教祖を含む教団幹部13名に死刑、5名に無期懲役が言い渡されました。
外患誘致罪もまた一度も適用されていません。
ただし、過去に一度だけ適用を検討された事例があります。
それが「ゾルゲ事件」です。
1941年から1942年にかけて、旧ソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動をおこなっていた事件で、それに加担していた日本人構成員らが逮捕されました。
この事件では外患誘致罪が検討されましたが、最終的には治安維持法・国防保安法違反で首謀者らは死刑に処せられました。
日本には「国家転覆罪」という名称の罪はありませんが、国家転覆に関わる罪として、内乱罪、外患誘致罪、外患援助罪が挙げられます。
多くの国民の命と平和を奪うため、非常に重い刑が定められており、特に外患誘致罪は死刑のみが適用されます。
ただし、実際に国家転覆罪が適用された事例はなく、国の安全を揺るがす程の重大な事件を起こさない限り一般の方に適用されることはまずありません。
参考:日本で最も重い罪とは?死刑確定の外患誘致罪 | 弁護士の選び方